なぜ、葬儀をするのか。臨済宗の葬儀を僧侶がわかりやすく解説

意味なんて、わからなくてもいいんだ。

これは臨済宗の葬儀において、たびたび言われてきたことで、「周囲に意味がわかるかどうかは問題ではなく、故人を往生させられるかどうかが肝心」ということを含意します。

確かにその通りなのですが、葬儀の簡素化が進んでいる様子をみると、「何をやっているのか分からない」仏式の葬儀に価値を見出しづらくなっている人々が増えているように感じます。

そこで、今回は筆者が所属する臨済宗の葬儀を解説して、葬儀が何を行い、意味しているのかを明らかにします。

臨済宗の葬儀

臨済宗の葬儀は、中国宋代(1103年)の禅寺の規範をまとめた『禅苑清規(ぜんねんしんぎ)』に記される僧侶の葬儀作法にもとづいて、室町時代には現行の基本ができあがりました。

加えて、日本では平安時代より貴族たちの間で、死後出家が広まったことで、出家の儀式が葬儀に組み込まれるようになります。

それらを引き継いだ今日の臨済宗の葬儀では、前半では故人を出家させる儀式を行い、後半に故人のご冥福のために葬送の儀礼を行う二部構成となっています。

得度式(とくどしき)

得度式で用いられる和刀

まず初めに行われるのは、“得度式”です。出家して僧侶になるための儀式で、受戒(じゅかい)ともいいます。

本来は生前に行われるものですが、平安時代ごろより、「出家して僧侶になることで往生できる」という信仰が広まり、死後に得度式を行うことがはじまりました。

一般に“死んだ後の名前”と誤解されることの多い戒名は、出家することで得た僧侶としての名前であり、棺にかける金襴の布は僧侶の袈裟を意味します。

得度式の内容は以下の通りです。

剃髪偈(ていはつげ)

僧侶となるために剃髪することは古来よりの慣わしで、煩悩を除くために行われます。

以前は、本当に故人の頭を剃っていたようですが、今日は導師(葬儀の主体となる僧侶)が和刀を手にして剃髪をする仕草にとどめ、煩悩を取り除くことを願う漢文の偈をお唱えします。

懺悔文(さんげもん)

これまで、身体・言葉・心で発せられた善くない行いを懺悔するものになります。

仏教では、「出家前の出自を問うてはならない」という不文律があり、出家することを“生まれ変わること”と捉えます。そのため、これまでの善くない行いを懺悔することは、リセットする意味合いを含みます。

三帰依(さんきえ)

“お釈迦様”・“仏教の教え”・“教団”の三つに対して、帰依することをお唱えします。

帰依とは、身心を投げだして信奉するということで、「お慕いする」と言い換えてもいいかもしれません。このいずれが欠けても、仏教は伝えられませんので、仏教徒はこれら三つを大切にします。

本来であれば、この後に戒名を授与するという流れですが、葬儀の際には事前に付与されることが多いです。

葬送儀礼(そうそうぎれい)

葬儀

ここからが故人を送り出す葬送儀礼になります。

葬送は、故人に敬意を表すことと、そのご冥福がテーマとなり、構成されています。お経に描かれるお釈迦様の葬儀に倣っているものが多く、故人に敬意を表すべく、お釈迦様と同等に扱うことが特徴です。

内容は、地域差もありますが、大まかに以下のようになります。

入龕仏事(にゅうがんぶつじ)

(がん)とは、今日では棺のことを指しますが、本来は仏を安置する建物、厨子のことを言います。その龕にご遺体をおさめることが節目として重視されたため、多くの仏や菩薩の名をお唱えしてお勤めします。

鎖龕仏事(さがんぶつじ)

鎖龕は、棺を締めるということで、昔は実際に釘打ちをしていました。

出棺後の道中に棺の蓋が外れて、ご遺体が落ちたりすることは大変に忌み嫌われるため、道中の無事を願ってお勤めをします。

起龕仏事(きがんぶつじ)

起龕とは、ご遺体が火葬場もしくは埋葬場に向かう際に棺を持ち上げることを言います。

今日では、斎場での葬儀が多いですが、元来は自宅で葬儀することが普通であり、起龕仏事が終わって、墓地への出棺となりました。故人が生身の姿で家を出るのは、これが最期であることから古来より重視されました。

三匝(さんそう)

今日の都市部の葬儀では、ほとんど見られませんが、出棺後に葬列を組み、火葬場・墓地に着くと入口で右回りに三周することを三匝といいます。インドにおいて“パリクラマー”と呼ばれ、相手に敬意を表す礼儀作法となり、お経にはお釈迦様と会見する際に弟子や信者が三匝する場面が頻繁に見られます。

山頭念誦(さんとうねんじゅ)

棺を祭壇前の台(涅槃台という)に安置した際に読経されるものです。

中国では、お寺は山に建立されたことから比叡山延暦寺などで知られるようにお寺を“山”と伝統的に呼びます。その山の入り口である山門で葬儀をしていた名残りで、“山頭”といいいます。

鼓鈸(くはつ)

太鼓や鈸(シンバルのような楽器)を鳴らします。お釈迦様の葬儀の際に参集した人々が楽器を用いて別れを惜しんだという故事に由来します。

秉炬仏事(ひんこぶつじ)・引導法語(いんどうほうご)

故人を火葬する時に、導師(葬儀を司る僧侶)が、松明(たいまつ)を取ることを秉炬といいます。

元々は、ご遺体に松明を投じて火をつけていましたが、今日では松明を模したものを用いて、漢詩(この場合は法語や偈という)が唱えられます。この漢詩は、故人を仏教の教えに入らしめ、安楽に導く目的でなされることから“引導法語(いんどうほうご)”と呼ばれます。

引導法語のはじまりは、諸説ありますが、よく言われるものとしては、中国の禅僧である黄檗禅師が母の溺死に際して、松明を投じて法語を唱えたところ、母の遺体が浮かび上がり、天に生まれ変わることができたという逸話です。

最後に「喝」と唱えるのは、臨済宗の開祖である臨済禅師が弟子を叱咤激励し、悟りに導くために「喝」の一語を用いていたことに由来し、それ以外にも「咦(い)」や「咄(とつ)」などのバリエーションがあります。

さいごに

臨済宗の葬儀は、故人のご冥福をテーマに構成されており、葬儀の性質を考えたときに、これより大切なものはありません。

込み入った印象を抱かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、それは一人の人間がこの世から去ることが軽くない証とも言えます。

また、送り出される立場にあっても、そういった葬儀を子や孫に経験させることで、命の重みを伝える機会になります。

この記事が、皆さんの臨済宗の葬儀に対する見方を変える機会となれば幸いです。

《参考文献》

松浦秀光『禅家の葬法と追善供養の研究』

妙心寺派教学研究委員会『葬儀の歴史(正法輪記載)』