僧侶が解説!戒名の由来と歴史と意味について
皆さんに質問です。“戒名”って何ですか?
おそらく、多くの方が即答できないのではないでしょうか。ネットや雑誌には「戒名はお寺の金儲け!」「本来の仏教ではなかった!」などという主張が繰り返されているので、それを信じてしまう方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、臨済宗僧侶として仏道に身を置く筆者は、「戒名はそのような底の浅いものではない!」と確信しています。今回の記事を通して、戒名の由来、普及の歴史を解説し、戒名を授かる意味を明らかにします。記事をご覧頂ければ、戒名に対する見方がきっと変わるはずです。
どうぞ、最後までお付き合いください。
目次
戒名の由来
仏教では、在家から出家した際に、それまでの名前(俗名)から改名する習慣があり、改めた後の名前を“戒名”と呼びます。なぜ、名を改める(戒名)のかと言うと、一つの根拠として、お釈迦様が出家することを“生まれ変わる”と捉えられていたことが挙げられます。
戒名の例
戒名という習慣がいつ頃から始まったのかは定かでありませんが、お釈迦様の直弟子として知られる“サーリプッタ”尊者(漢訳名:舎利子・舎利弗)は元々、ウパテッィサという名前であったと伝わります。それが仏教徒になって以降、“サーリプッタ”と名を改めていますので、戒名のはしりと言えるかもしれません。
我々日本人に身近な例を挙げると、真言宗の開祖である弘法大師空海の場合は、俗名の眞魚(まお)から出家して空海へと改めています。また、禅にルーツを持つ茶道では、一定の稽古を積むと「茶名(ちゃめい)」という茶人としての名を授与されますが、これは仏教における戒名の習慣をもとにします。
出家とは生まれ変わること
芸能人の方などが改名されることがありますが、あれには心機一転する意味が込められているものと思います。それと同じことが戒名にも言えるのです。
お釈迦様の弟子の一人にアングリマーラという方がいました。この方は、出家する前には殺人鬼として周囲の人々から恐れられていましたが、お釈迦様との出会いから改心して出家してお釈迦様の弟子になりました。
そんなアングリマーラさんが、あるとき托鉢をしていると道端で倒れている妊婦を見つけます。それをお釈迦様に報告したところ、「私は生まれて以来、生き物の命を奪ったことはありません。その真実にかけて、あなたとお腹の子が幸いでありますように。」と妊婦の前で唱えるように指示を受けます。インドでは、真実の言葉には不思議な力が宿ると信仰されているので、それによっているのでしょう。
ところが、アングリマーラさんは出家する前には殺人を犯していたので、「それでは嘘をついたことになる」と返します。すると、「生まれて以来」を「聖なる生まれに生まれて以来」と言い換えるように言われ、その通りにすると、無事に妊婦が出産したという話が『アングリマーラ経※1』の中にのこっています。
ここでの「聖なる生まれ」とは、出家して仏教の僧侶になることを指していますので、お釈迦様は出家して仏教の僧侶になることを生まれ変わると捉えられていたことが分かります。これは仏教徒となった際に名前を改める(戒名)根拠の一つとなったでしょう。
※1 パーリ仏典経蔵中部収録
在家者への戒名普及の歴史
当初の戒名とは出家した僧侶の習慣であったのですが、中国南北朝の時期(西暦5,6世紀ごろ)、中国王朝の歴史書である正史に立伝される人物には仏教に由来する名を持つ者※1が見られるようになります。この頃には、天台宗の開祖である智顗(ちぎ)が隋の煬帝(ようだい)に“総持”という戒名を与えたことが知られるように、戒名が次第に在家仏教徒にも普及していく様子が窺えます。
これらの様子を見ていくと、そこには在家仏教徒の人々の仏道修行に対する熱意が見えます。
出家と在家の隔たり
仏教はインド以来、“四衆(ししゅ)”といって、男性僧侶・女性僧侶・男性信者・女性信者と教団組織の構成員を四つに分類します。
二分すると、“僧侶”と“在家仏教徒”になるのですが、仏道修行に専一する僧侶(出家者)が居ないと仏教は守られませんし、原則的に労働をしない僧侶は支えてくれる在家仏教徒がいないと生活できませんので、仏教を守るためには両者は欠かすことのできないものです。しかし、仏教の教団組織のルールブックである律蔵(りつぞう)を読むと、僧侶と在家仏教徒との間には厳格な区別がされていることにも気がつきます。
在家仏教徒の仏道修行
そのような区別がある中でも、仏教には“斎(さい)”といって、在家仏教徒が寺院に行って、出家者とともに修行する伝統があります。基本となるのは、月に六日間の“六斎日(ろくさいにち)”ですが、中国南北朝の時期には多彩な斎が開催されていたことが分かっています。
また、それまで別々のルール(戒)※2を守っていた僧侶と在家仏教徒に“菩薩戒(ぼさつかい)”という共通のルールが適用されるようになりました。それより中国においては仏教徒になる際には、菩薩戒を授けられるようになり、併せて“戒名”が在家者にも与えられる事例が南朝梁の時代(六世紀)から見出せます。
それまではあくまで僧侶を支える立場であった在家仏教徒たちの中に、「自分たちも僧侶と同じ修行者なのだ!」という意識が生じたことが窺え、それを表すように、梁の武帝は自らを“菩薩戒弟子”と自称しました。
在家仏教徒たちに戒名の普及していったのは、このような仏道修行に対する一大ムーブメントの一環だったのです。
※1 宋(西暦5世紀ごろ)の王僧綽(おうそうしゃく)などは最も早い例といわれます。僧は仏教伝来により創作された漢字
※2 在家仏教徒は5項目の“五戒”を、男性僧侶は約250項目よりなる“具足戒”をと別々の戒を守っていた。
戒名が授けられる意味
ここまで見てきたように、戒名とは“仏教徒となった際に名前を改める習慣”を指しますが、それがどうして死後の名前と誤解されるように至ったのでしょう。そこには、“戒”の持つある力が関わっており、現代において私たちが戒名を授かる意味を示しています。
戒を守ることの効能
改めて言いますが、戒とは仏教徒が日々の生活において守ることを勧められるルールのことで、基本となるのは以下の五つです。
- 生き物を殺さない
- 自分のものでないものを盗らない
- 邪な性行為をしない
- 真実でないことを語らない
- お酒を飲まない
筆者は、子供のころより警察官であった父から「夜に外を出歩くな」と言い聞かされてきました。夜に外を出歩けば、事故など危ない目に遭う可能性が高まるため、自分の身を護るためには、予めそういう場所と距離を置くことが大切だからです。戒を守ることもそれと同じで、善くないことから距離を置き、自らの身心を守ることができます。
死後の受戒
戒を守る敬虔な仏教徒たちは次第に、善くないことから身心を守れているのは自らの手柄によるのではなく、戒自体に善からぬものから身心を守る力が備わっていると考えるようになりました。また『大智度論(だいちどろん)』と呼ばれる『般若経』の注釈書などには、戒には来世において善い境遇である天や人に再び生まれ変わる果報をもたらす効能があるとも記されます。
そういうところから、戒を授けられて仏教徒となる“受戒(じゅかい)”が、病人や臨終間際の人、更には死人に対して行われるようになります。これはひとえに人々を善からぬものから守ろうとする祈りから行われるようになったものです。
生前に受戒して戒名を授かっていれば、それをそのまま位牌に書き込むわけですが、そうでない人の場合は、この時に初めて戒名を授かることになります。そのため、戒名を死後の名前と誤解されることになりました。
さいごに
いかがだったでしょうか。最後に今回の再確認です。
- 戒名の習慣は出家を“生まれ変わる”と捉えたことと関係する
- 在家仏教徒に戒名が普及したのは仏道修行に対する熱意のあらわれ
- 受戒・戒名には人々を善からぬものから守ろうという祈りが込められている
戒名の由来、普及の歴史、授けられる意味を明らかにしましたが、戒名についての認識が大きく変わった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
この記事が皆さんにとっての善き仏縁となることをお祈りします。
【参考】
『六朝時代における菩薩戒の受容過程(船山徹)』
『何故、死後に戒名は必要なのか?(妙心寺派教学研究委員会)
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“僧侶が解説!戒名の由来と歴史と意味について” に対して1件のコメントがあります。
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