禅宗の僧侶が解説!お墓に卒塔婆を建てる理由

お墓参りをすると、必ず沢山の墨書きされた板状のものを目にします。

これを“卒塔婆(そとば)”もしくは、“塔婆(とうば)”と呼びます。法事(年忌供養)の際などにあわせて建てられるものになるのですが、多くの方は卒塔婆を建てることにどのような理由があるのかご存じないのではないでしょうか。

実は、この卒塔婆は故人のご冥福をお祈りするために建てられているものなのです。もちろん、知らなかったからといって悪いわけではありませんが、筆者は理由を知った方がより良いように考えます。

そこで、今回は皆さんの法事が一層中身の濃いものとなるよう、どうして卒塔婆を建てることで故人のご冥福に繋がるのかを解説したいと思います。

お釈迦様は卒塔婆の建立の利益を説かれた

“卒塔婆”は、インドのサンスクリット語の「 ストゥーパ( stūpa ) 」という単語の音に漢字を当てたもので、以下のような異なる漢字の表記も存在します。

  • 卒都婆
  • 窣堵波
  • 率塔婆

これらはお経をサンスクリット語から漢語に翻訳する際、翻訳者によって当てた字が異なったことで生じたバリエーションであり、正誤はありません。

元々の原語であるストゥーパは、“お釈迦様のご遺骨をお祀りする塚”を意味し、お釈迦様自身の遺言により建てられたものです。そして、お経には「ストゥーパを供養することにより大きな利益がもたらされる」と説かれ、これを“仏塔信仰”と呼んだりします。

※卒塔婆、ストゥーパ、仏塔と様々な呼び方がありますが、紛らわしいので以下、【卒塔婆】と統一します。

大パリニッバーナ経で説かれた卒塔婆

実際に、お釈迦様がお亡くなりになる様子を描いた『大パリニッバーナ経』というお経では次のようにお釈迦様は語られます。

アーナンダよ。世界を支配する帝王の遺体を処理するのと同じように、修行完成者の遺体を処理すべきである。四つ辻に、修行完成者のストゥーパをつくるべきである。誰であろうと、そこに花輪または香料または顔料をささげて礼拝し、また心を浄らかにして信ずる人々には、長いあいだ利益と幸せとが起るであろう。

『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元訳 岩波文庫

この言葉は、死期の迫ったお釈迦様に従者をしていたアーナンダ尊者がお釈迦様の遺体処理について尋ねた際の返答です。

仏教では、僧侶や教団組織に寄進(お布施)することは善行と説かれ、肥沃な田土に作物の苗を植えると多大な実りがあるように、徳の高い僧侶や清浄な教団に寄進することによって、寄進者は果報として利益や幸福がもたらされると考えられます。

その中でも、悟りに至られたお釈迦様のために供養することは最上とされ、お釈迦様亡き後にも人々に幸福をもたらし続ける装置として卒塔婆の建立が言及されているのです。

アショーカ王の卒塔婆建立

サーンチーストゥーパ
アショーカ王の建立と推定されるサーンチーのストゥーパ 画像素材:PIXST https://pixta.jp/

『大パリニッバーナ経』を読み進めると、お釈迦様が亡くなられた後にご遺骨を巡って、お釈迦様とゆかりのあった部族たちによって争奪戦が起ったこと、また最終的には協議の末に八つの部族により八等分され、それぞれの部族の土地に卒塔婆が建てられたことが記されます。このようにして各地に建てられた卒塔婆はお釈迦様の身体そのものであると看做されました。

そこから、百年~二百年ほど経過すると、インド史にその名を轟かすアショーカ王が登場します。アショーカ王は熱狂的な仏教信者であったことが知られ、それぞれの卒塔婆を掘り起こして細分化し、インド全土に八万四千もの卒塔婆を建立したとされます。何がアショーカ王にそこまでさせたのか。それは卒塔婆を供養することが来世において天に生まれる利益をもたらすと信仰されたからです。

暴虐アショーカ

“アショーカ王”と聞いても、ピンとこない方もいらっしゃると思いますが、今から二千年以上前にインドを統一した上に仏教を篤く保護したことで知られます。そのことから東アジアでは英雄視され、仏教を信仰する各国の王はアショーカ王に憧れを抱いていました。日本でも奈良県の地名である明日香(飛鳥)はアショーカの音に漢字を当てたものという説があります。

そんなアショーカ王も若いころには大変粗暴で“暴虐アショーカ”と呼ばれていたと言われ、王位のために九十九人の兄弟を殺し、南インドのカリンガを征服した際には十万人の民を虐殺したとされます。

しかし、カリンガにおける惨状はアショーカ王も大変に悔いたようで、その後悔の念から不殺生を誓い、「武力による統治を放棄した」と石(アショーカ王碑文)に刻んだ言葉が見つかっています。アショーカ王が仏教徒になったのはこのカリンガ戦争以後のことと推定されます。

来世において天に生まれるため

仏教徒となったアショーカ王は既に存在していた卒塔婆を掘り起こして、お釈迦様のご遺骨を細分化し、インド全土に八万四千の卒塔婆を建立したといいます。その数が真実かどうかは分かりませんが、七世紀にインドを旅した玄奘三蔵の旅行記(大唐西域記)には、アショーカ王が建立した卒塔婆が百二十余りあったと記され、現代にもアショーカ王が造らせた可能性が指摘される卒塔婆がいくつか現存しています。なぜ、アショーカ王がこれほど多くの卒塔婆を建てたのか推察すると、そこには自身の来世に対する不安が挙げられます。

インドでは伝統的に生き物は生まれ変わり死に変わりを繰り返すと考えられ、来世の行き先は上は天から下は地獄まで五種ないし六種の世界が想定されます。これらが生前の善悪の行いによって決定するというのが基本的な考え方です。

しかし、アショーカ王は仏教徒となる前に多くの人々を惨殺しているので、普通に考えれば来世は明るくありませんが、“アショーカ王碑文”にはアショーカ王が「来世において天に生まれること」を最上とし、望んでいる一文が見えます。そんなアショーカ王にとって、“供養することで来世において天に生まれることが約束される”と信仰される卒塔婆は頼みの綱のように見えたのかもしれません。

日本における卒塔婆

金剛輪寺の三重塔
金剛輪寺(滋賀県)の三重塔 筆者撮影

アショーカ王の手によって爆発的に増えた卒塔婆は、南にはスリランカ、ミャンマーと伝わり、タイではパゴダとなります。そして、北ではシルクロードを通って西域の国々に伝わります。もちろん、お釈迦様のご遺骨を細分化するのにも限界がありますので、経典を記した煉瓦などを代わりに埋葬していますが、五世紀にインドを旅した法顕三蔵は「コータン(シルクロードの周辺国の一つ)においては家の門前に小さな卒塔婆を建てて供養している」と卒塔婆が普及している様子を自らの旅行記(仏国記)に記しています。

こうやって、シルクロードを通過して、中国、日本と伝わり、楼閣のような形状の卒塔婆となります。日本で京都や奈良などの寺院で見られる五重塔や三重塔は日本版の卒塔婆です。

日本におけるストゥーパ(卒塔婆)信仰

インドからシルクロードを通って中国、日本へともたらされた卒塔婆は形は変われど信仰は変わらず、宮大工の方々の中では、「仏塔(五重塔などの卒塔婆)の工事に携わると孫の代まで善き果報がある」と言われるそうです。これは日本においてもインドから続く仏塔信仰が生きている証拠です。そして、その日本において墓地に卒塔婆を建てるのは建立・供養することで天に生まれ変わることができる利益でもって故人のご冥福をお祈りしていることに他なりません。

まとめ

卒塔婆の由来から、その信仰や建立する理由を解説しました。

ここで解説していることを読んで頂ければ、より中身のある法要、卒塔婆の建立がなされるように思います。

最後に、今回の記事をもう一度確認します。

  • お釈迦様は卒塔婆(ストゥーパ)を供養することで利益がもたらされると説かれた
  • インドでは卒塔婆(ストゥーパ)を建立することで天に生まれると信仰された
  • 日本でも卒塔婆信仰が生きている

以上のことから日本において墓地に卒塔婆を建てることが故人の冥福を祈るためであることがわかります。

この記事が皆さんの善き御縁となることをお祈りします。

【参考】「アショーカ王碑文 (塚本啓祥)」レグルス文庫

    「新アジア仏教史05中央アジア 文明・文化の交差点」佼成出版社


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