ご仏壇にお供えして良いものとダメなもの。その分かれ目を僧侶が解説
昨今、神社とお寺の違いがわからない若者が増えているといいます。
確かに“寺社仏閣”とまとめられますし、建物の形もよく似ています(お寺に影響されて神社の建物ができたので似ているのは当然なのですが)。しかし、インド発の仏教のお寺と日本発の神社とでは、教義や習慣など決定的に違う面もあります。
その一つが、“お供えもの”です。色んなご家庭を見ていると、まれに神社でのお供えと混同されて、ご仏壇にお供えしてはならないものをお供えしているケースが見受けられます。
そこで、今回はご仏壇に何をお供えして良いものとダメなもの、その分かれ目をお釈迦様の教えをもとに解説します。
目次
お供えして良いものとダメなものの分かれ目
結論から申しますが、お供えしても良いものとダメなものの分かれ目、それはズバリ、“生き物であるか否か”です。
神社では、正月に魚をお供えする習慣がありますので、ご仏壇にもお供えしても良さそうなものですが、仏教では肉魚など生き物をお供えすることを避けます。
お供えして良いもの
- 花
- 果物(種類に縛りはないが、季節のものをお供えする)
- 精進料理(霊供膳という)
- お茶
- 水(お湯)
- 菓子(羊羹など)
- ロウソク
- 線香(抹香なども含む)
法事などの際に、基本となるお供えは以上となります。花や果物は、一対でも片方のみでも結構です。
また、これ以外にも特定の行事では、餅や野菜、塩、味噌などを供えることもあります。
お供えしてはダメなもの
- 肉
- 魚(生でも調理後も不可)
法事後の会食に用意された弁当にも肉魚が含まれることがありますが、それもお供えには適していません。
なぜ、肉魚をお供えしてはならないのか
お釈迦様が生きた時代のインドでは、儀式があるたびに多くの生き物を殺して、お供えしていました。
それに対して、お釈迦様は極めて批判的で、自らの信者であったコーサラ国のパセーナディ王が行事のために、二千もの動物を供犠のために用意していた際には、下記のような偈を唱えて王を諫めています。
献馬祭に、献人祭 棒擲げ祭に、ソーマ祭 さては無遮会とくさぐさの供犠はあれども利益はない 山羊だ、羊だ、また牛と ただ殺戮をこととして犠牲をそなえる祭には 正道をゆく大聖はゆかない 山羊も、羊も、また牛も 殺さるることあらずして つねに行なう供犠にこそ 正道をゆく大聖はゆけ かかる供犠には大果あり その司祭者もめぐまれて これぞすぐれた供犠なれと 諸天も賞賛するならん
【出典:阿含経典 増谷文雄】
このように、お供えものとして生き物の命を奪うことを無益な殺生として退けられています。それゆえ、ご仏壇に“生き物でないもの”をお供えします。
もしかすると、「花も生き物ではないか」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、初期の仏教では“有情”と“無情”といって、心があるか否かで、生物無生物を判断しました。その基準では、花は“無情”とみなされます。
さいごに
供養という言葉は、インド語で「プージャー」といい、元来はお供えものをすることを意味しました。それだけに、“お供えものをする”という行いは、とても重要な意味をもちます。ぜひ、皆さんのお心をお供えものという“形”にして表されてください。
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