長寿寺は、江戸時代に平戸藩六万石を治めた平戸松浦氏の十六代当主となる松浦勝(まつら すぐる)公によって南北朝時代の応永年間(1394年~)に創建されたと伝わります。

本尊は薬師如来で、勝公が薬師如来を信仰したことによります(平戸松浦氏の旧記『壺陽録』には、勝公が薬師如来を信仰したと記される)。

近世大名であった平戸松浦氏の当主により創建された由緒により、島民からは「殿様寺(とのさまでら)」と呼ばれたことが史料に記され、事実、江戸時代が終わるまで、歴代の当主より寄進された寺領により護持されました。

長寿寺と平戸松浦氏

古文書
藩主による寄進書状

小値賀島は、遣唐使船の寄港地として知られ、貿易の中継地として物資の供給や商品の売買と大きな利益を見込めた土地でありました。

その一端が、鎌倉時代における小値賀島の所領を巡る争論(『青方文書』記載)に窺え、最終的に幕府は小値賀島を峯持(みね たもつ)公の所領と認めます。

小値賀島の地頭職を安堵された持公は、小値賀島に居住した後に平戸に移り、平戸松浦氏の基礎を築いたことから、小値賀島は平戸松浦氏発祥の地といわれます。

その後、南北朝時代において、平戸松浦氏は十五代の定(さだむ)公が南朝(後醍醐天皇)方につきますが、弟の勝公が北朝(足利将軍家)方の武将として活躍します。

最終的に北朝の勝利で終わったことで、勝公は“肥前国司”の称号を用いることを許され、長寿寺を建立するに至りました。

寺領の経崎山や境内には、十五代の定公・十六代の勝公・十八代の直(なほし)公の御廟所(平戸松浦氏の歴史書『家世伝』では遥拝塔と記述される)や十六代勝公から三十六代までの位牌があり、長寿寺が保管する『長壽寺文書』には、十六代勝公の位牌を補修する際に上下を着用した付き添い人が位牌を藩船にて送迎するという厳重な様子が記されます。

さらに、『長壽寺文書』には、経崎山が三十代の棟(雄香)公より寄進され、「経崎山はのこらず神木にて枯草一つ取ること許さず」と見られます。

また、平戸松浦氏の守護本尊とされる弁才天を祀る大応庵や江戸幕府第五代将軍である徳川綱吉に才を認められた第五代藩主棟(たかし)公より寄進された肖像画、水戸黄門こと徳川光圀に“天下の三勇”の一人と称され、明治天皇の曾祖父にあたる第九代藩主清(きよし)公が寄進した鳥居が遺ります。

松浦党研究者のなかには、長寿寺が平戸松浦氏の館跡に建立されたことを推測される方もいますが、いずれにしても、小値賀島に長寿寺を建立したことは政治的な意図が含まれていたものと思われます。

代数当主西暦
1嵯峨天皇18子
91185壇ノ浦の戦いにおいて平家方に水軍を率い参戦
111229小値賀地頭職を任ず
151336南朝方につく 小値賀に建武新田・牛の塔を建立 長寿寺寺領経崎山に遥拝塔あり
161394長寿寺創建 大応庵・一竿鳥居建立 長寿寺境内に遥拝塔あり
18勝の子 長寿寺境内に遥拝塔
211456足利義教と親交を結び、勘合符を得て戦国大名となる 長寿寺に法華経寄進
26鎮信1587初代平戸藩主 豊臣秀吉に所領安堵される 長寿寺に一竿鳥居建立
28隆信三代平戸藩主 長寿寺寺領加増
29鎮信1637四代平戸藩主 長寿寺寺領加増
301691五代平戸藩主 江戸幕府寺社奉行就任 長寿寺寺領加増・肖像画寄進・弁才天燈明料寄進・一竿鳥居建立
31篤信1713六代平戸藩主 長寿寺弁才天燈明料寄進
33誠信1728八代平戸藩主 長寿寺弁才天燈明料寄進
341775九代平戸藩主 明治天皇曾祖父 甲子夜話記す 長寿寺に一竿鳥居建立
351806十代平戸藩主 長寿寺山号額揮毫

長寿寺の山号寺号について

山号額
「廣嚴山」と記された額

長寿寺は、正式には【廣嚴山 長壽寺(こうごんさん ちょうじゅじ)】といいます。

山号の廣嚴山は、本尊である薬師如来について説かれた『薬師如来本願功徳経』の舞台が、古代インドの都市である廣嚴城(ヴァイシャ―リー・毘舎離ともいう)であることによります。

寺号の長寿寺は、中世に田平(現在の平戸市田平町)を本拠とした峯氏の菩提寺で現在は廃寺となった同名の長寿寺との関わりも指摘されていますが、定かではありません。

また、南北朝時代には足利尊氏の菩提を弔うために足利基氏によって鎌倉に長寿寺が建立されますが、この時代ごろより、平戸松浦氏のなかで「源氏」姓の名乗りや足利義教の菩提を弔う普門寺の建立など足利家との関係性を求める動きがあり、勝公の建立した長寿寺と尊氏の菩提を弔う長寿寺の寺号が一致していることは偶然ではないのかもしれません。

住職挨拶

住職挨拶

仏教は、2500年の歴史を持ち、長い時間のなかで豊穣な思想を育んできました。

それだけの間、淘汰されずに続いてきたということは、教えに触れて人生を好転させた人が数多く存在する証であり、私もその一人です。

浅学菲才ゆえ、未熟な部分も多々ございますが、少しでもわかりやすく仏教の教えを伝えられるように努めて参ります。

臨済宗妙心寺派 長寿寺
住職 柳原貫道