【住職ブログ】仏教に天国はありません。

天国

先日、僧侶仲間で話しているときに、あることが話題となりました。

それは、仏式の葬儀の場で、故人に対して、「天国で安らかにお眠りください。」という文言が使われることです。

ご存知ない方も多いかもしれませんが、天国というのはキリスト教の世界の話であって、仏教にその発想はありませんし、永眠もしません。

ここには、明らかに近代以降に流入した西洋の文化、価値観が侵食しています。

では、仏教では、死後どのようになるかというと、それまでの行いの結果として六つの世界のいずれかに生まれ変わり、再び生を送るとされます。

六つの世界は次の通りです。

  • 天道(幸福を享受する神々の境遇 梵天や帝釈天など)
  • 人道(人の境遇)
  • 修羅道(闘争を繰り返す境遇)
  • 畜生道(動物の境遇)
  • 餓鬼道(飢餓に苦しむ境遇)
  • 地獄道(筆舌に尽くせない苦しみを受ける境遇)

これらをまとめて「六道(ろくどう・りくどう)」または、六つの趣く先ということで、「六趣(ろくしゅ)」といいます。

ただし、初期の仏教では、修羅道は想定されておらず、五道でした。

(今回は、それぞれ「○○道」と表記しましたが、趣や界と表記されることもあります)

パッと見たところ、天国も天道も変わらないように思えるかもしれませんが、天道の場合は、そこでも寿命があり、死を迎えると再びいずれかの世界に生まれ変わりますので、その点が天国とは決定的に違います。

ちなみに、もう一つ死後の行き先として極楽浄土が挙げられますが、これは仏教成立当初には説かれておらず、後代に入って、ギリシャやエジプトの影響をうけて考え出されたと推定されています。

極楽浄土は、パラレルワールドのような世界観を有しており、現代でいうなら、我々の住まう地球のほかにも生物が住まう大変住みよい惑星が同時に存在しており、阿弥陀仏を信仰する人々は死後そこに生まれ変わることができるというものです。

こちらの方が天国に近い概念かもしれません。

以上のことから、「天国で安らかにお眠りください」を仏教風にいうならば、「天の世界で安らかにお過ごしください。」が相応しいのかもしれません。

世間の方々からすると、どちらでもいいように感じられるかもしれませんが、一つの体系や文化を守っていこうとすれば、こういう細かい一々が大切になってきます。