長寿寺は現存する小値賀町内の寺院では二番目に古い歴史ある禅寺です。旧平戸藩松浦家十六代当主松浦勝公によって創建されたと伝わります。それがゆえ、古くは島民より「殿様寺」と呼ばれ、尊崇を集めました。平戸藩庇護の下に発展し、第三代藩主(平戸松浦家二十五代)隆信公以降、歴代各藩主より知行地として寺領を加増されていき、江戸時代後期には広大な寺領を誇りました。また江戸期には十余年間、江戸期の臨済宗を代表する名僧、盤珪永琢禅師が住持を務めた事もあり、頂相、墨蹟などゆかりの書物が数点残されています。近世では明治三十二年までは月観長老禅師や乾崖禅師などの高僧、いわゆる師家が住持を務めました。
創建以前にはこの地に松浦家の拠点となる屋敷があったと考えられており、近年の調査では当山を中心に古い周溝が確認され、小値賀町前方郷を中心に三万坪余りの敷地があった事が判明しています。当主親子が父と息子で平戸と小値賀に交互に移り住んでいたという説や南北朝時代に隣国から逃れるための疎開先として平戸松浦家数代に渡り、この地を拠点にしていたという説もあります。いずれにせよ、勝公の平戸帰還を機に当山が創建されたと考えられ、創建の正確な年日は不明ですが、応永年間(1394年~)の古記録に当山の名が残され、存在が確認されます。