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和尚のひと言申します。

 
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このくにの善行
2019-01-13
先日、電車に乗って座席に腰かけているとお年寄りの女性が立たれていることに気づきました。そこで、席を譲ろうと声を掛けると、女性は私を一瞥しただけでひと言の礼もなく私が座っていた座席に腰かけられてしまいました。
もちろん、席に座ってもらおうと思って声を掛けたので構わないのですが、何か心にもやもやしたものを抱えたまま残りの電車の時間を過ごすこととなりました。
 
何故、自分がそのような気持ちになったのか振り返ってみると、卑しくも心のどこかで礼を言われることを期待したからに違いありません。勝手に期待して勝手にがっかりしたのです。
禅宗ではそういう気持ちを“計らい”と言って非常に嫌います。
計らいとは計算、打算のことで、言い換えれば、
「目的のために行為すること」もっと分かりやすく言えば、
「何かのために何かを行うこと」です。
 
修行の否定?
今から千二百年ほど前、中国唐の時代に活躍した臨済禅師には生前の言葉を集めた語録「臨済録」という書物が残っています。
 
臨済宗のお坊さんにとってはキリスト教のバイブルのようなものですが、その語録の中で臨済禅師は弟子たちに、
「悟りたいと思って修行するならば、坐禅も読経も教えを学ぶこともすべて地獄行きの業を造っているに過ぎない。」
と厳しく戒めています。
本来であれば、坐禅も読経も教えを学ぶことも仏教では善行として肯定されるものですが、臨済禅師はそれらを切り捨てます。
 
学生時代に初めてこの話を読んだとき、「じゃあ、どうすれば良いの?」と困惑した記憶がありますが、臨済禅師は坐禅などの修行そのものを否定したわけではなく、「悟りたい。」という“計らい”を否定したのです。
 
今日では学校教育においても目的意識を持って行動すること、いわば“計らい”を盛んに奨励していますが臨済禅師はその正反対を行っていることがよく分かります。
 
小学校のようなお屋敷で
私がまだ雲水(禅宗の修行僧)だったころ、分衛(ぶんえい)という托鉢の一種がありました。
雲水4、5人で一つの地区を回り、その地区一軒一軒お宅のインターホンを押してお米かお布施を頂くのですが、私が訪れた家の中に洋風三階建ての豪邸の前に広大な庭を持った、まるで小学校のようなお屋敷がありました。
 
こんなすごい家に住んでいるのはどんな方だろうかと恐る恐るインターホンを押すと中からご婦人が出てこられました。お綺麗な方なのですが、その日は髪の毛はボサボサで顔色もよろしくありません。
 
お札配りに来た趣旨を伝えると、スッと一万円札を差し出されました。
そんな大金をお布施される方は滅多におられませんので内心驚きながら深々と頭を下げますと、その女性が、「お坊さん、私いま主人と離婚訴訟の最中で今日は家庭裁判所に出廷する日なんです。でも、これだけのお布施をしたのですから今日は勝てますよね。」と話されました。私は返す言葉に窮し、頭だけを下げてその場を去りました。
 
その女性がその後どうなったのかは分かりませんが、もしかすると期待通りの事が運ばずに落胆しているかもしれません。このように、どれだけ素晴らしい行いにもそこに“計らい”(期待、見返り、打算)の混ざりものがあると、行いは濁り、落胆を生む可能性があるのです。
 
日本的な善行
世界的数学者の岡潔は六十年近く前のベストセラーである著書「春宵十話」の中で、
 
「このくに(日本)で善行といえば少しも打算を伴わない行為のことである。」
 
と記しています。
これは非常に厳しいことを言っていて、逆説的に言うと打算があれば善行ですらないことになります。私はそこまで厳しくはありませんが、岡の言葉に臨済禅師と同じ匂いを感じて惹かれるものがあります。そんな岡がしばしば言及していた越後の良寛さんには次のような一句があります。
 
『霞立つながき春日に子供らと 手毬つきつつこの日暮らしつ』
(かすみたつ ながきはるひに こどもらと てまりつきつつ このひくらしつ)
 
情景が目に浮かぶような一句です。
春のうららかな一日に子供たちと手毬をついて夢中で遊んでいるうちに一日が終わる。
良寛さんは地位や名誉、権力とは縁遠い生き方をされた方でした。純粋無垢な子供たちが大好きで、いつも衣に手毬を忍ばせていたそうです。別に子供と遊んでいるから何かためになるわけでもありません。
 
むしろ、世間ではそんな暇があれば仕事をしたほうが有意義だと考える人も多いでしょう。しかし、そのように常に目的意識を持った生き方は息が詰まり、窮屈なものとなってしまうように感じます。また、他者と接する中で打算を伴うのは人間関係の希薄な非常に貧しい世の中を生み出します。
 
そうではなく、計らわず(期待も見返りも打算もせず)、ただ、純粋に行動していく。世知辛い今日だからこそ、そのような生き方は私たちを楽にしてくれます。そして、それだけでなく、他者とも気持ちの良い関係が築かれます。子供達にはそんな世の中を歩ませてあげたいものです。
 
合格祈願に思うこと。
2018-11-25
もうすぐ受験シーズンが到来しますが、それに先駆けて長崎市孔子廟において合格祈願が行われた様子がニュースで報道されていました。通常の合格祈願では受験生本人がお参りする姿が多く見られますが、これでは努力の方向性は正しくないように思います。合格するためには祈願するよりも勉強するほうが結果に直結するからです。その点において、孔子廟では受験生ではなく、受験生の親御さんの姿が多く見られたことが紹介され、実に理に適った合格祈願だと膝を打ちました。
日々の私たちの生活においても、方向性の間違った努力が多く潜んでいるのかもしれません。
 
役に立たなくてもいい。
2018-10-01
先日、ついに新潮社の雑誌「新潮45」が休刊になりました。
ご存知の方も多い事かと思いますが、「LGBTは生産性がない。」という文言に端を発した一連の騒動は一旦は収束に向かっていくのでしょう。今回の騒動は差別を助長するものとして憂慮されていますが、個人的には“生産性”という言葉に強い違和感を感じました。なぜなら、それは人に対して用いる言葉ではなく、資源、つまりは“モノ”に対して用いる言葉だからです。
 
人の価値のはかり方
人をモノとして扱うという姿勢は、少し前から問題となったAmazonの「お坊さん便」や、それ以前より、人“材”派遣会社があるように随分と世間を蝕んできたように思います。
しかし、人をモノとして扱うと、「生産性の有無」、「役に立つか否か」が判断基準となり、性的マイノリティの方々に止まらず、障害のある方、子供やお年寄りは、人としての価値が低くく見なされることは自明です。果たして、人の価値はそのようなもので決まるのでしょうか。
 
僧侶は役に立たない
仏教では、原則として「労働」と「生殖行為」を禁じます。
日本の僧侶は、妻帯し、労働をしている方も多いので、ご存じない方も多いかと思いますが、現在でも南方仏教国では保持されているものです。しかし、労働は経済を発展させ、生殖は人類を紡ぐものとして、世の中には欠かせません。それを放棄している僧侶は、何も生み出さない存在であり、世の中から見ると全く役に立たないと言えます。けれども、彼らは世間の人々から大変尊敬されています。
 
これは、南方仏教国の僧侶に限らず、私たちが普段、目にする役者やスポーツ選手にも言えることです。彼らがやっていることは直接的に世間の役に立っているわけではありません。(回りまわっては役に立っているかもしれませんが、彼ら自身、その意識はないでしょうし、それを言い出したら、どんな人もそうです。)公務員の方が余程役に立っています。でも、そんな彼らが世間で馬鹿にされているかと言うと、そんな事はありません。むしろ、とても評価されています。
この事を見ると、生産性や役に立つか否かで人の価値ははかれない事がわかります。
 
ただ、そこに居るだけでいい。
今日、日本では年間3万人以上の方が自死されています。行方不明者を含むと、実際には10万人を超すとも推測されています。それに比べて、東南アジアのミャンマーでの自死者は毎年1500人ほどで推移しています。人口は日本の半分ほどですが、比率が格段と低いことがわかります。これは、人に生産性や役に立つことを求める日本とそうではないミャンマーの違いではないかと思います。ミャンマーで一番の都市であるヤンゴンでは、雨季になると毎年道路が冠水して、人は腰の高さまで水に浸かりながら歩き、車は大渋滞します。それでも、政府は整備に取り掛かりませんでした。(昨年、道路の排水機能を高める事業を発表はしましたが…)それはなぜかと言うと、許されるからです。日本であれば、東京どころか地方でも許されないのではでしょうか。
 
社会の厳しさはそのまま個人単位まで還元されます。今日の日本は、人ひとりに求められるハードルが非常に高くなっており、そこに達さない人は社会から零れてしまう。今の日本社会に生活保護というハード面の受け皿はあっても、ソフト面の受け皿はありません。その結果が、自死者の数に表れています。
私は決して役に立つこと、生産性が高いことを悪いと言っているわけではありません。利益を追求する社会が役に立たないことを許さないのは致し方ないことなのかもしれません。
けれども、せめて、私たち個人くらいは、子や身近な人に対して、それを許してあげても良いのではないでしょうか。
「ただ、そこに居るだけでいい。」と。
そうすれば、少なくとも、私たちの身の回りにおいて悲しい出来事起こる可能性は少なくなるものと思います。
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