小値賀|史跡|文化財
拝観・境内
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拝観・境内
拝観時間のご案内
午前6時~午後5時まで
※事前にご連絡頂ければ、何時でもご拝観頂けます。
※車椅子でのご拝観も受け付けております。詳しくは当ページ最下部をご参照下さい。
拝観料のご案内
無料
(本堂にてお賽銭を入れて頂ければ幸いです。)
拝観時の諸注意
◆境内は火災の恐れがあるため、火器の使用並びに喫煙は全面禁止となっております。ご理解のほど宜しくお願いします。
◆本堂をはじめとする堂内へのペットの同伴はご遠慮下さい。
◆大覚庭はライトアップの際のみの拝観となっております。平時は拝観を受付けておりませんので、ご了承下さい。
境内案内図
境内案内図
①三界萬霊碑
正徳四年(1714年)に建立され、名僧と称された盤珪禅師の書と伝わります。盤珪禅師は「不生禅」という独創的な禅を説かれた禅僧で、数々の大名・民衆を教化し、平戸藩主松浦鎮信公も帰依しました。大本山妙心寺の住持も務められ、当山の歴代住持にも名を残されます。
三界萬霊の三界とは欲界・色界・無色界の総称です。私たちが生死を繰り返しながら輪廻する世界を三つに分けたものです。つまり、すべての霊位を供養するための石碑になります。
②一竿鳥居(小値賀町指定文化財)
寛政七年(1795年)に明治天皇の曾祖父にあたる第九代平戸藩主松浦清公によって建立されました。松浦史料博物館所蔵「壺陽録」に『~興栄公は弁才天を信じたまひ小値賀前方村に宮居を御寄進御影石の一竿花門を建させらる古今珍しき鳥居なり~』とあることから、この鳥居は建立当初より通常の鳥居に見られる笠木のない貫だけの鳥居であったとみられ、これが「一竿(貫)鳥居」の名称の由来であります。損傷の度に歴代藩主により建て替えられ、現在建っているのは四代目の鳥居です。しかし、昭和中期の台風により大きく破損し、現在は柱一本を残すのみとなっています。
②大応庵弁天堂(小値賀町指定文化財)
大正二年に再建されました。当山開基と同じ松浦勝公により創建されたと伝わり、元は寺領にあった大応庵というお寺でしたが廃寺に伴い、現在地に移築されたものです。歴代藩主により遷宮(改築)が施され、遷宮の際には藩の事業として藩主が願主となり、藩より多額の支度金(建築費用・加担した他寺の僧侶への布施費用など)が支出され、朱塗り船(藩船の最高級)にて行事に必要な神具(御輿など)と供物一式を平戸から運ばれました。
寺院では珍しく七福神の秘仏弁才天をお祀りします。拝殿と本殿を幣殿で結ぶ神式の権現造風の建築で、神仏習合時代の貴重な遺物です。
③観音堂
昭和七年に再建されました。同町真言宗長楽寺の廃寺に伴い、本尊十一面観音像を安置するために建立されました。長楽寺は元々、小値賀町の本島より15キロ離れた属島美良島にあったとされ、豊臣秀吉公の朝鮮出兵の戦勝祈願所として加藤清正公により創建されたと伝わります。十一面観音像はその際に連れてこられたといわれます。
④松浦勝公霊廟
当山を創建された平戸藩松浦家十六代松浦勝公の霊廟です。霊廟とはお墓のことで、かつては「国司興栄公之碑」と刻まれていましたが、積年の風雨により、現在は確認することが出来ません。藩政時代は盆中に藩より灯篭が献上され、代官などが参拝していたとの記録が残ります。
⑤納骨堂「報恩堂」
小値賀町初の納骨堂です。
平成二十六年に建立されました。詳しくは別述。
⑥本堂
昭和二十七年に再建されました。藩政時代には藩より賜った支度金(建築費用一式)により再建されていましたが、藩政の終焉により再建毎に本堂も小さくなりました。当時は戦後間もなくの状況で資材が手に入らず、小値賀町に自生する松を主材料に建設されたため、天井が低くなっています。
本尊薬師瑠璃光如来は貞享二年(1685年)に京仏師忠圓により制作されました。美しいご尊顔と精巧な透かし彫りを施された光背から「稀に見る秀作」と称されます。忠圓は金閣寺ご本尊や黄檗宗大本山萬福寺四天王像を制作した事で知られる江戸時代初期を代表する大仏師です。
⑦寺務所(庫裏)
平成13年に再建されました。参拝者の応対や檀信徒の応接などに利用されます。
⑧大覚庭≪通常非公開≫
先住大覚和尚により作庭されました。琉球系の亜熱帯植物が随所に見られ、絶滅危惧種に指定されるハカマカズラ(小値賀町指定文化財)など希少種も散見されます。長崎県亜熱帯植物園の名誉園長中西弘樹氏からは亜熱帯植物の宝庫であると驚かれたほどです。
⑨薩摩堂中世古墳群(小値賀町指定文化財)
平戸藩松浦家十八代直公の霊廟といわれています。現在は倒壊し、墓石が散乱しているのみとなっています。
⑩経崎山中世古墳群(小値賀町指定文化財)
平戸藩松浦家十五代松浦定公の霊廟と伝わります。
整然と並ぶ自然石の板碑群の最奥に石積をして特別な区画をなした中に一基の墓があります。これが松浦定公の霊廟です。古来より、平戸に遠慮をして「ご先祖さまの墓」と呼ばれてきました。周りの板碑は主君定公が亡くなった際に殉死した家臣の墓といわれています。
文化財・宝物
文化財・宝物
山号額『廣厳山』
平戸八景の一つである「大悲観」を揮毫した事で知られる名書家であった第十代平戸藩主松浦熈公ご揮毫の山号額です。本堂を上がってすぐ上に掲げられています。
第五代平戸藩主松浦棟公(雄香)肖像画
外様大名初となる幕府要職の一つ寺社奉行を務められた棟公の肖像画です。平戸雄香寺二世大隋和尚の賛が添えられており、「松浦家と長壽寺の関係を示す後世の証とするよう」記されています。
盤珪禅師頂相
不生禅という独創的な禅を提唱したことで知られる名僧盤珪禅師の肖像画です。大本山妙心寺の住持を務め、当山の歴代にも名を残し、歴住墓地にも坊塔があります。肖像の上部には兵庫県網干の龍門寺(盤珪禅師開創の寺院)の第四世住持永明禅師の賛が記されています。江戸時代に小値賀町と兵庫で交流があったことがわかります。
法華経
平戸松浦家二十一代当主松浦義公ご寄進の法華経です。各軸に義公の諱「融義」と花押が記されます。いわゆる春日版と呼ばれる平安時代後期から鎌倉時代において興福寺を中心とした奈良寺院にて印刷された経本であります。箱書きは子孫である第五代平戸藩主松浦棟公によるものです。小値賀にお越しの際に時の長寿寺住持より、この法華経を見せられ、甚く感激され、この箱書きを施されたと記録が残っています。
長壽寺文書(小値賀町指定文化財)
小値賀町の指定文化財でもある長壽寺に保管される古文書です。平戸藩歴代藩主よりの書簡など五十点近くが所蔵されます。
タイ焼締四耳壺
十五、十六世紀頃にタイ国内の窯で焼かれ、貿易の際にシャム船の積荷を入れる容器として使用されたものです。境内には同様の四耳壺が散乱しており、当山が貿易の拠点であった証と言えます。小値賀町内では沖の神嶋神社と長寿寺の二件で確認されています。
襖絵「四季花鳥図」(通常非公開)
水墨画家の安藤美香氏により書院の襖絵が描かれております。
車椅子でのご拝観
車椅子でのご拝観
長寿寺では車椅子をご利用の方にもご拝観頂けますよう車椅子の貸し出し・着脱式のスロープを用意しています。スロープは常時設置しておりませんので、ご利用の際は事前にご連絡頂きますようお願い申し上げます。
バリアフリー経路案内
お車でお越しの際は山門下の駐車場ではなく、墓地横からご進入頂き左図のスペースにご駐車下さい。
山門からお入り頂き、右手には報恩堂(納骨堂)がございます。階段脇のスロープをご利用頂き、ご入堂の際は着脱式のスロープを設置致します。
本堂にお参りの際には本堂右に隣接する庫裏(寺務所)よりお入り下さい。
図のように庫裏(寺務所)玄関にスロープを設置します。
庫裏(寺務所)より本堂へのスロープです。
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長崎県北松浦郡小値賀町前方郷871
TEL.0959-56-2230
FAX.0959-56-2230
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